……まで秒読み

純粋性挫折日記

これからは日記を書きます

祈り

ときどきすべてのものに対して愛を感じることができる瞬間がある。

それは疲れてそれでいて満ち足りた夜だったり、どこかのお店の店員がそれをしたとしても給料があがるわけでもないのに優しくしてくれてちょっとだけ資本主義社会の外で心が通じ合ったように感じたあとだったり、とにかく自分では制御できないのだけど、自分が完全になる瞬間がある。
そんなときはどんな怒りも一瞬で愛に変わるし、自分に優しくしてくれる人もきっと知り合えば互いに嫌いになるだろう人も、それから自分自身にも、すべての人間に優しくなれて、幸せになってほしいと感じる。空間も時間も越えて、この愛がすべての意識体に拡散していくような感覚に陥る。

この状態は制御できない上に、そこまで長く続かない。数ヶ月に一度くらいしかやってこない。

いわば完全な祈りの心理状態。

そういうときは大抵とても満たされた気持ちになる。
しかし同時に感じている思考がある。
「この祈りは『ライ麦畑でつかまえて』でいうところの“インチキ”なんじゃないか?」

この祈りは体験に基づかない。
行動に派生しない。
自分以外の誰かのためにものではない。

これは完全なる愛か、それとも欺瞞なのか。