宣誓
誰かのしあわせのために生きられる人でありたい。
だからぼくが死んだらお墓には「誰かのしあわせのために生きた」と刻んでほしい。
誰かのしあわせのために生きたい。
誰かがしあわせであってくれると嬉しい。
誰かがぼくの前でしあわせに笑っていてくれると、それはその人がしあわせだということだから、嬉しくなる。
誰かがぼくの前でほっとしてくれると、少しだけしあわせということかもしれないので、やっぱり嬉しくなる。
でもどれだけ誰かのしあわせのために生き続けても、ぼくの前で、誰も笑ってくれなくて、誰もほっとしてくれなかったとしても、誰かのしあわせのために生き続けられる人でありたい。
誰かのしあわせのために生きたい。
いつか誰かがきっとどこかで、しあわせになってくれるだろうと信じて、誰かのしあわせのために生き続けたい。
褒められると嬉しい。
誰かのしあわせのために生きていると誰かが褒めてくれることもある、し、それは嬉しい。
でも誰からも褒めてもらえなくて、誰からも認めてもらえなくても、誰かのしあわせのために生きて、そのことについて自分で自分を認められるような人でありたい。
誰かのしあわせのために生きていることで、それを見た他の誰かも「誰かのしあわせのために生きる人でありたい」と思うようになってくれると嬉しい。
その人を見たまた別の誰かも同じように誰かのしあわせにために生きることを「いいな」と思ってくれて、誰かのしあわせのために生きる人が、世界にたくさん溢れかえってくれると嬉しい。
でも誰もいいなと思ってくれなかったとしても、それでも誰かのしあわせのために生きられる人でありたい。
誰かのしあわせのために生きられる人でありたい。
誰かのしあわせのために生きられていないときでも、誰かのしあわせのために生きることを、大切に思い続けられる人でありたい。
誰かのしあわせのために生きる人でありたい。
あえて矛盾する
あえて矛盾する
矛盾することをあえて言う。
そういった矛盾した発言の中に私たちは変容の可能性を生成していく。
例えば「私は自分のことが嫌いだ。そして、私は自分のことが好きだ」とか「私はあの人のことを許せない。そして、私はあの人のことを許す」とか。
心理療法の一領域であるAcceptance&Commitment Therapy(通称:ACT)ではセッション中の「でも」を、すべて「そして」に置き換えることを推奨している。
私は自分の人生を変えたいと思っている。”でも”、毎日身体がだるくて動けない。
という言葉があったする。それを
私は自分の人生を変えたいと思っている。そして、毎日身体がだるくて動けない。
と言い換えてみる。
もちろん、そう言い換えてみたところで、あっという間に気分が改善する、なんてことはない。
そして、そういったところに狙いがあるわけではない。
ここで言いたいのは、2つの文章が逆説でつながれているとき、2つは対立するものであり、どちらかを解決しなければどちらかは成立しないものだった。
ときには、身体がだるくて動けないことをもって、自分は人生を変えたいと「本当は」思っていないんだ、と主張されることさえある。
そして、2つの文章がただ並列として並べられるとき、互いに互いの条件ではもはやありえなくなった、ということだ。
実際にそれらが対立しているものなのか、並列しているものなのか、というのはあまり重要ではない、というか知りえない、というか私たちに委ねられている、と言えるのではないだろうか。というよりも、そう言ってしまいたいと私は思う。
私たちはあるものを言葉で言い表すと同時に、言葉で世界を作っている。
言葉を介して世界に触れるとき、相互作用が生じている。
そこで、私たちは戦略的に言葉を使うことできる。
私たちは、言葉を正確に使うことを賛美されながら育ってきたと思う。
そのことに疑問を抱いたことはないか?
黒い大きな犬を見て「怪物だ」とつぶやく。すると周りの大人は「怪物なんていないよ。あれは犬だよ」と訂正する。
自分の思考を言語化することは常に称賛される。小学校の作文から、大学の小論文、社会に出たらレポート?
小論文にはお作法がある。最初に自分の主張を書き、その後に具体的なエピソードを交えその論拠を説明し、最後に全体を総括して再度主張を明示する。そうすると高得点がもらえる仕組みになっていた。
そのほうが分かりやすくていい文章なのだと、大人は言う。
そして、そうして、読みやすい文章へと自分の思考を整形していくとき、切り落とされて死んでいくものの痛みのことを思う。
思考が仮に生命体だと思ってみてほしい。どこか知らない遠くの惑星で暮らしている、地球外生命体の一個体なのだと。
ある日人類がその星を訪れる。その星は人類ほど文明が進んでいない、と人類は考えたから、住みやすいようにテラフォーミングをすすめた。
テラフォーミングがすっかりすんだとき、その星に残っていた原住民たちはありがとうと感謝の気持ちを伝えた。
もちろん、感謝の気持ちを伝えるときに彼らは、序論→本論→結論の順番で話すようにしていた。
そのとき、環境変化に適応できず、死を余儀なくされた生命体のことを思うことはできないだろうか。
優秀な言語化が賛美され、理路整然とした意味内容が評価されるとき、その裏側ではぐちゃぐちゃとしていて曖昧でうまく言葉にできないような私たちの中にある部分が切り捨てられていく、押し殺されていく。
果たして私たちにとって大切なものは、すべて序論→論拠→結論の環境に適応するのか。
そのことの真偽について、私は議論をする気はない。
ただ、そういった星を想像することができるのだ、ということを指摘したい。
つまり、論理的に正しいことと、論理的に正しくないことが共存しているような星のことだ。
人類の遠い先祖はその星からはるばる地球まで旅してきたのかもしれない。
それなら私たちは海を見るときに懐かしさを感じるのと同じように、その星が位置する方角の夜空を眺めたときに切ない気持ちを感じていることだろう。
これもACTでよく言われるジョークなのだが、人間の臓器の中で一番大切なものはなんだと思う? 脳みそだ、と思っていた。そう話すのが誰なのかということに気づくまでは。
これはメタファーと言ってしまうことができる。
脳は、言葉のメタファーだ。
言語化すること、一義的な意味によって固定することこそがもっとも素晴らしいことだと言っているのは誰だ?
――それは言葉自身だ。
言葉の言っていることが、嘘なのか本当なのか、私は興味がないけれど、少なくとも言葉が話すことだけをもってそれが事実だと信用する必要がないことは分かる。
「事実と一致していること」は「事実と一致していないこと」よりも価値があるとされている。しかし、それもまた言葉が自身の立ち位置を安泰なものにするためにうそぶいているに過ぎない。
事実と矛盾しない適切な言語化が賛美されるとき、理路整然とした振る舞いができない人は排除される。
効率的でなくて、力強くなくて、生産性がなくて、曖昧で、正しくない。そういったものの存在は、言葉が支配する王国の中で邪魔者になる。
私はその王国に生まれ、ここで育ち、そして息苦しさを感じる。
私たちは革命を起こしたいと願っている。
もしかするとあなたはこれを読んで、私はそうは思っていないと思うかもしれない。
そして同時に、革命を願っている。
私たちは自己中心的に、言葉を運用する(思えば自己中心性に対する批判もまた、この王国の中で培われた価値観にすぎないのではないか)。
私たちの生存を認めさせるために、あえて、言葉を矛盾をはらんだ状態で使い、決定的ではないかもしれないものの真偽を議論する以前に「仮にそうである」とすることができるという一点をもって戦略的に断言する。
そういった矛盾した言葉の乱用の中に、革命の可能性が生まれていく。
あなたも革命を望んでいる。
仮に、私たちの目の前にいる人と、私たちが「連帯するなんて絶対むりだ。だってこの人はこんなにも自己中心的なんだから」と思ったとしたら、もう一つ深いレイヤーに潜るという選択肢が、私たちには許されている。
レイヤーというのは、私たちとその人の立つ仮想の地層のことだ。
私たちが誰かとの間に共通項を見出せそうにないと思うのなら、さらに深い地層を仮想する。仮想された地層は存在することになる。だから私たちは、もう一層深く潜り、共通項を探る。
それは必ず見つかるはずだ。
私たちは一つの地下茎なのだ。
地上ではどんなに違った姿に見えても、どんな違ったところに芽を出したとしても地下茎なのだ。
なので、必ずそれは見つかる。
というよりも、私たちはそれが見つかるまで、運動をやめることはない。
1つ下の地層で見つからなかったのであれば、さらに下のレイヤーへと潜ればいい。見つかるまで、さらに深く、さらに深く、潜っていけばいい。
それは絶え間ないが、決して打ち切る必要はない。
なので、私たちはあえて断言する。
あなたもまた、革命を望んでいる。
その可能性を信じようと思う。
つねに選択肢が与えられている。
ひとつは、あえてそうであるとすること。
もうひとつは、あえてそうでないとすること。
その選択は私たちに委ねられている。
心理療法の一領域である弁証法的行動療法では「承認」という概念が提唱されている。
承認とは「ふんふん、なるほど、確かにそうですね」ということだ。
もう少し詳しく説明するのであれば、もしも私があなたであったとしても、同じように生まれ、同じように育ち、同じような状況に置かれているのであれば、同じように行動したでしょう、ということだ。
例えば、誰かを殴るのは悪いことだ。
そして(ここであえて「だが」と言わないことに注目して欲しい)、どのような暴力であっても、それは承認を適用しえる。
例えば、その人は、殴る前に、すでに殴られていたのかもしれない。
侮辱されていたのかもしれない。口で言われたからといって手を出すことは望ましくない。そして、抑えきれないほど怒りが高まれば、誰だって手を出してしまう。
あるいは、その人は言語能力があまり高くなく、行動で感情を表現するのが得意だったのかもしれない。もしそうなら、怒りを表現する媒体として、身体的暴力を選んだのはごく自然な選択だと言える。
あるいは、殴る以外に怒る方法を教わったことがなかったのかもしれない。誰もその人に教えてくれなかったのだ、怒りが耐え切れなくなったら口で抗議することもできる、と。それなら暴力を選択するのも当然の結果ではないだろうか。
もし、以上のような推測をしたうえで、なお、その人が暴力をふるったというのを承認できないというのであれば、さらに深いレイヤーに潜る必要がある。
私たちの前には常に選択肢が存在している。その人のことを承認することをあきらめるか、承認することをあきらめないか。
承認は、実際承認可能か、可能でないか、といった議論と違う地平に存在している。
私たちは誰かの行動を承認したとして、その人を許すことはできないかもしれない。
殴られたあとに、殴ってきた人にほかにすべがなかったと知ったとしても、殴られたことを許すのは容易ではないだろう。
そして、私たちには「その人を許すか、許さないか」といった議論にのらないことによって連帯し、言語の王国に対する革命の狼煙をあげることができる。
私たちは怒り、そして同時にその人の行動は当然のものだったと理解することができる。
私たちはなおも許さないが、許さない自分のことを赦しながら、その人のことを赦すことができる。
雑に言葉を使え。
冗談を言え。
心にもないことを言ってみろ。
矛盾したことを言え。
間違えた言葉遣いをしろ。
詩を書け、歌い上げろ。
沈黙したまま踊れ。
言葉では伝えきれないことを伝えようとしろ。
読みにくい文章を書け。
論理を飛躍させろ。
曖昧な発言を繰り返し、やっつけの文章を発信しろ。
断言しえないことを断言してみせろ。
暴力的で攻撃的な文章を愛のもとに記せ。
あえて言語化しないことを選択しろ。
いつだって戦略的に矛盾を受け入れることを選択しろ。
そしてときには矛盾を受け入れられない自分を承認しろ。
矛盾した状態を許容し、私たちは戦うのをやめ、そして同時に、今までよりもさらに力強く怒り、私たちは戦い続けることができる。
またあした
夜、家まで歩いて帰る。橋の途中に、3人の男女がいる。おそらく友だちどうし。ひとりが「私、こっちだから」と言うと、ひとりが「またあした」と言う。私は気づいてないフリをしてその横を通り過ぎ、10歩くらい歩いてからふと、ふと……またあした、と口ずさんでみたくなる。まるっこくて眠気を誘いそうな言葉だなと思う。
またあした……そういえば今まで生きてきて誰かに、またあしたって、言われたり言ったりしたことあっただろうか。またあした……と口にする人生と、しない人生の、違いはどこで生まれるんだろう。どこが違ったんだろう。多分私は、明日以降も、またあしたなんて言うことはないし、人生のおわりまで言われることはない。
またあした……またあした……とそのまま数回口ずさみながら私はしばらく歩いて、このことは記事になるかなと考えてから、文章の構成を練り始める。
恋愛について
歯が抜ける夢をよく見る。
ぐらぐらするなあ、と気にしているうちに、乳歯でもないのに抜けてしまう。それですごく焦る。
社会に適応しようと一生懸命に努力していると、突然、社会の側から「きみはこちらには馴染めないよ」と謝絶の烙印を押されてしまう。そういった出来事を、いつも恐れている。
恋愛という感情、体験は、ぐらついている歯か、あるいは抜けてしまった歯が残す暗い隙間に似ている。
小学生のころ、恋愛とは「好きな人いるの? だれ?」という質問に答えることだった。そう訊かれたら、クラスの一人の名前を挙げればよくて、そうしたら周りは茶化して、自分は恥ずかしく感じればいい。これは分かりやすかった。しかし、思えばそのときから、恋愛は私にとってだけわかりやすく、ほかの多くの人たちにとってはそれほどわかりやすいことでもなかったのかもしれない。
小学生のころ、きっと私は、ちょっと浮いてた。
あんまり話しかけられることもなくて。幼いところもあったのだろう、3月生まれで、もしかするとなぜだか教室に紛れ込んだ1学年下の子ども、みたいな立ち位置だったのかもしれない。
4年生の昼休みだったろうか。クラスに人はまばらで、私は自分の席に座って本を読んでた。そのときクラスの女の子が一人「好きな人いるの?」ときいてきて「えーいないよ」と答えると、その子は「〇〇ちゃんでしょ」と言って、私は「違うよ」と答えたけど、それは当たってた。内心ギクッとしたけど、その場はごまかして終わった。その私に声をかけてくれた子は、中学に入って、酷くいじめられて、どこかへ転校していってしまった。隣のクラスだったから、そのときのことはよく知らない。
たまに、そのときの、昼休みの教室の、薄暗かったことを思い出す。
私がそのとき挙げた名前は、質問をしてきてくれた子の名前ではなかったけど、私はその子のこともやっぱり好きで、自分に興味をむけてくれたことが嬉しかったのだと思う。そのときのことを今でも思い出せる。
あれは恋愛感情だったんだろうか。未分化な愛情が、性愛のようでいて、同時に優しさであったりして、結局それは胸の奥のなんだかぬくい感じでしかなかった。
中学生になり、恋愛は複雑化していく。あるいは私以外の人にとっては単純化したのかもしれない。
しばらくすると、クラスの中でカップルができていく。そういうこともあるのかなと思って眺めていた。友達と「今日暇? 遊びに行っていい?」と遊ぶ約束をするのと、付き合うのは、あんまり変わらないような認識だった。あるいは、私とは関係のない、私とは違う生き物が、なにかをしているな、と思っていたような気もする。
中学3年の1学期、よくつるんでいたグループでは、アニメの話やゲームの話をしていれば一日が終わって、それで問題なかった。ただ、なかに1人、より社交的なグループと掛け持ちしてつるんでいるメンバーもいた。それで、あるとき、同じクラスと隣のクラスのだれだれが付き合ってるとか、フラれたとか、そういう話をしはじめた。衝撃だった。衝撃だったのは、その場にいた自分以外の全員が、それを興味深げにきいて、そしてその恋愛に対する価値観や世界観を共有している、ということに気づいたからだった。
そのときの感覚を、私は、それからずっと、ひきずっている。
あるいは、もしかすると、そのときに、私は本当の恋愛感情というものから最終的に決定的に、疎外されたのかもしれない。
小学生のときから私自身はなにも変わらない。
小学生のときは恋愛感情を抱くことができていた。世界もそれを認めてくれていた。それからまったく同じように恋愛感情を抱き続けている。ただ、世界のほうが、あのときから、変わってしまった。新しい基準が設けられ、私の恋愛感情だったものは、そこから振り落とされてしまった。
だから、今でも私は、恋愛のことになると、困ってしまう。
私のなかにある感情は恋愛感情なのに、分節化されず、原始的な混合状態にあり続けている。だからそれを、恋愛感情でないことにしたらそうなるし、恋愛感情であることにしたら今度はそうなる。誰も私の代わりに決めてくれないので、私は恋愛において自由なんだけど、自由だからこそ困ってしまう。
「恋愛感情は加害になりかねないから、違うものだということにしておこう」とかする。
一方で、より混乱をまねかず、力強く、強力で、くっきりとした感情がそのそばにあり、それは孤独と名づけられる。実際孤独を感じ取ることができるのは、誰かがそこにいるときだ。
誰かと誰かと連れ添い歩いているときや、誰かが誰かによって幸せにしてもらったと話すとき、誰かが誰かがいることで安心できると話すとき。そういうときに孤独を感じる。孤独の基準は世界で不変のようで、恋愛感情みたいに、見る方向を変えて都合よくごまかすことを許してはくれない。孤独はどうしようもない。
ただ、孤独から恋愛を求める、というのはなんだかうまくいかないような気がする。孤独なときは本当に孤独で、自分のことだけで手いっぱいになってしまうし、ほかの誰かと関係をむすぶ余裕なんてなくなってしまう。
だからまずは、ただただ、しっかりした人間になりたいと思う。しっかりしたっていうのは、しっかりしていて、だからモテるのだ、みたいな、そういう話ではなくて、まずは自分の人生のことだけで一生懸命になってしまうのがよいんじゃないかなと思う。これからなにをして生きるかとか、どういった人間になりたいとか、そのために誰とどう接してどう関係するか、といったようなことをしていくうちに、自分のことだけ手いっぱいにならないですむかもしれないし、そのときには恋愛がわかってきたり、誰かから好きになってもらえることもあるかもしれない。
希望的観測だろうか。そのときにはもう手遅れだろうか。自分のより悲惨な側面を見ることができてないだろうか。もう27歳だしね(この年齢というのは、なんだかいろんなことがちょっと不安だ)。
まあそういう不安について悩むのは、この人生で散々やってきたことだし、もうそろそろいいんじゃないかな、と思う。
忘れた記憶
カウンセラーから「過去のことを整理してみるといいかもね」と言われた。
私はずっと精神分析に懐疑的できたけど、最近そこまで嫌うようなものでもないかと思うようになった。だから同意した。無意識にふれることで、私のなにかが変化するのであれば、魔法のようで素敵だと思う。
過去の記憶にとぼしい。私の人生は右に進めば左から消えていき決して戻ってくることのない横スクロールアクションのようだった。
多分あまり、覚えておきたいような出来事がないのだと思う。
嬉しかった思い出。今でも思い出せるのは、小学校6年の頃。クラスに、ひそかに好きだった女の子がいたこと。初恋だったこと。その子と話せるだけでしあわせだったこと。その年の修学旅行で肝試しがあって、くじ引きで決まった男女がペアになって手を繋いで歩いて回ることになったこと。そのとき一生懸命祈っていたら、本当にその子とペアになったこと。肝試しで歩いた林道で、心臓がバクバクいってたこと。でも後ろからくるペアがクラスのお調子者で、CMソングを高らかに歌いあげるので雰囲気ぶち壊しだったこと。それでかえってホッとしたこと。戻ってきてから部屋でやった枕投げ大会は夢見心地でなんだかよく覚えていないこと。
私の恋愛経験はそこで終わりになって、あとは超自我に支配された日々がはじまる。だからこの思い出はいまの私には関係ないかもしれない。でも大切な思い出だから忘れない。初恋の、別に告白したわけでもなく一方的に好きで、それを隠したまま手を握ったことを成人を過ぎて何年もずっと覚えているのは、正直だいぶきしょい気もするけど、どうなんだろう、その辺の感覚が、私には欠落している気がする。
じゃあ覚えておきたくない記憶はというと結構多い。全部抑圧しておいてくれよと思うけど、断片的に検問をかいくぐって前意識の世界に侵入してくる。
小学校の最初の年。冬。なわとびが盛んな学校だった。なわとび初日、靴を隠された。みんなが人生初の縄跳びに挑戦しているなか、私は靴を探して途方にくれていた。どこかで私の知らない"ルール"が動き始めていた。得体のしれない心細さを覚えた。なにかが削られていくような感じだった。靴は結局下駄箱わきのゴミ箱から見つかった。犯人は誰だったのだろう。先生は見つけようとしてくれていたのだろうか。下駄箱で途方にくれて泣いていた私の姿を斜め上の方から、眺めている記憶だけが残っている。こうして書き起こしながら、私はそのとき誰かが一緒になって靴を探してくれていたのではないかと思い出す。誰だったのだろうか。一緒に探してくれる友達なんていたんだろうか。思い出しながら、あまりにも彼がかわいそうだから勝手に作り出したのだろうか。
思い出せるのは、辛い思い出ばかり。
食卓で牛乳をこぼしたとき父からすべて舐めてきれいにしろと言われた。あれは何歳だっただろうか。父が怒って私を冬のベランダに追い出したのは、私が何をしたせいだっただろうか。自分で食べたいといったあんこう鍋を残したせいで尻を何回も叩かれたことは死ぬまで忘れない。父が激怒して土下座をしろと命令する。あの屈辱も。中学校の頃、待合わせに遅れた友人にキレて私は父と同じように「土下座をしろ」と命令した。以来疎遠になって今でも会うたびに気まずい。抑圧しておいて欲しかった記憶なのに、何故だかはっきりと思い出せる。
小学校2年のとき、体操着袋がなくなって、結局校庭のすみのプール脇で砂にまみれて見つかった。と報告した。あれは結局違うところにあったのだけど、それを言い出せなくてプール脇で見つけたことにした。ほんとうはどこにあったんだろう。うっかり自分のロッカーに置き忘れていたのかもしれない。なんでこの記憶を今も覚えているんだろう。
小2のとき、野球でホームランとは四塁打のことだと言い張って、登校班のみんなに勘違いを指摘された。私は父からそう教られたと思っていた。実際はランニングホームランの説明と混ざっていたのだと思う。意地を張って言い張ったせいで、クラスから村八分にされた、と記憶しているけど、実際は別の理由があったのだろう。そのころ、私が公園に行くたびにみんながつれだってどこかに移動してしまって、取り残された私は、みんながどこにいるか探して回って、クラスメイトの家のチャイムを押して回った。いざみんながいる家を見つけたとき、奥からすごく嫌そうな声が聞こえてきたのを覚えてる、気がする。その頃から小5まで私には友達がいなかったと思う。
小3と小4の記憶はない。
ノロウイルスで運動会を休んだことだけ。
日々何をしていたのだろう、友達のいない放課後を。
小5で勇気を出して一緒に遊びたいとクラスの男子に伝えて、一緒に遊ぶようになった。友達ができた。なあんだ、って感じだった。私はみんなにライトノベルを布教して回っていた。また貸しで揉めたりしていた。みんなに貸そうと思って十数冊のライトノベルをランドセルに入れて登校していた。スマブラが流行っていたけど、ゲームを買ってもらえない家庭だった私は操作法もわからず、ずっと見てる役だった。マリオカートもポケダンもポケモンもモンハンも全部見てる役だった。5年生で転校してきたお調子者のクラスメイトの家が近くて、そこそこ友だちにもなれて、家に呼ばれて一緒にやったボンバーマンがとても楽しかった。その日の帰り道は、誰かが私の靴を間違えて履いて帰ってしまったと勘違いして裸足で帰った。
小6の頃、学年の不良児が体育の授業のとき、私を囲んでプニョプニョお腹だと私のお腹をつついて笑っていたことを覚えている。ずっと水泳してたから太ってるわけないのになと思ったけど言い返せなくて涙が出た。
そいつは中学に行っても同じ学校で、なにか色々された気がするけどなにも思い出せない。上履きや教科書になにかされるのを恐れて、私は毎日全部の持ち物を持って帰るようになった。全教科分の重みがのしかかった肩の痛みを、私は覚えている。
中2の一時期、そいつらに下校のたびに階段の最上段から突き落とされてたけど、うまく着地できて大丈夫だよ〜すごいだろ〜みたいなふうを装っていたのを覚えている。私は一緒に帰ってくれる人もなくて、帰り道1人でずっと自分はいじめられていない、惨めじゃないと考え続けていた。中3の移動教室で、自席にかえってくると、自分の机のうえにうっすら「死ね」と掘られていたのを、誰にも知られたくなく擦って消そうとしたのを覚えている。結局バレなかった。
中学のころ廊下を向こうから走ってくる女子にとっさに足をかけて転ばせ怪我をさせた。本当に、嫌いとかそういうのじゃなかったのに。今でも後悔している。彼女は覚えているだろうか。なんで足なんて出してしまったんだろう。彼女はどう思っているのだろうか。
中学のころ密かに好きだった(かもしれない)女子から同じ生徒会のよしみとしてバレンタインデーにチョコをもらったけど、手作りの食べ物を食べられない潔癖なところが当時あったせいで学校の近くの茂みにこっそり捨てた。申し訳ないなと今でも思う。相手は渡したことさえ覚えていないだろうけど。あのラッピングされたチョコレートはいまでもあの森のなかで眠っているのだろうか。
中高一貫の高校に途中から入学した。9割が持ち上がりの学校で、友達を作ろうと焦っていたら後ろの席の2人が「友達って作ろうとして作るものじゃなくて、自然にできるものだよな」って話してたのを覚えてる。それは正論なのかもしれないけれど、当時の私にとっては死刑宣告のように響いたのを覚えている。
高校のころも、クラスの嫌なグループに目をつけられて、しょっちゅう陰口を言われていた気がするけど、なにも思い出せない。
高校入って、山を登りながらクラスメイトの悪口を言う部員に耐えられずワンゲル部を半年でやめた。
記憶には、嫌なことばかり残っている。
書き出してみると、虐められていたかもと思う。でも虐められていたかを判断できるほどの材料はもはや残っていない。そのときの気持ちも、もうかすれて消えてしまった。
思い出そうとすれば、私にも明るい記憶がもっとあるはずなのに。
小学校の最初の年、はじめての友だちができた。彼は背が高くてちょっと変なやつだった。ある休み時間、私たち2人はほかの子と混ざって遊ぼうとはしなかった。2人で校庭の隅にある焼却炉の陰に立ってなにかを話していた。休み時間の校庭の喧騒をそこから2人して眺めていた。
彼はいつの間にか転校してしまった。彼の転校を知ったときの記憶も、もう思い出すことができない。
記憶をたどり思い出しながら書き留めたことで、いまの私はなにか変わるだろうか?
思い出して解釈したことで、必死に生きていた記憶の中の過去の私を、私は殺してしまったような気がする。
言の葉の境界
「ゆるす」には、「許す」と「赦す」の2通りの表記の仕方がある。「許す」はなにか悪いことをしたときにもう責めないし咎めないようにするからねといったようなニュアンスがあり、「赦す」というのは相手の存在そのものから認めてあなたが何をしたとしても大丈夫だよ、といったような雰囲気がある。
でもそういう雰囲気があるというだけで、「いまあなたが言ったゆるすはどっちのゆるすですか?」と訊かれると、どっちだろう? と分からないことが実際には多分結構ある。
「許す」と「赦す」の違いはわかっているようで良くわからない。もっと言えば「許す」や「赦す」は「理解する」とか「諦める」とかともちょっと似ている。
理解することで相手を赦したことになることもあるし、赦しながら諦めることも、諦めながら許すこともある。許せないけど、赦すこともある。
「赦す」も「許す」も、よくよく調べてみると結構輪郭が曖昧だ。
真っ白い画用紙が直線によっていくつかの区域に区切られているのを想像して欲しい。隣り合うエリアは別の色で塗らないといけない。直線で区切られ、青の区域、赤の区域、黄色の区域といったように画用紙が区分される。
言葉はこれに似ている。言葉が世界に直線を引いて世界を区分けして意味によって色分けをする。ただ、言葉の境界はどうも画用紙の塗り分けほどくっきりとしない。
赤と青の境界では紫色っぽい場所ができていて、どっちの領地に含まれるべきかという話になる。だからある意味言葉は領土に似ているかもしれない。国と国の間にどちらの領地か言い争いになるエリアがあるように、言葉にも領地問題がある。ただ、言葉は国土とは違って、そこで戦争になったりはしない。これは言葉が、なにかが損なわれるのではなく、なにかを与えるという性質を持っているからなのかもしれない。言葉は世界に意味を与え、人間に理解と平穏を与える。だから言葉と言葉の間では「どうぞどうぞ」と譲り合いが起きたりもする。そういうふうに考えると、言葉は分断された境界を色付けるものというよりも、薄く水に溶いた絵の具を真っ白な画用紙の上にポタポタと落としていくのに似ている。いくつもの言葉が画用紙の上で混ざりあい輪郭を委ねながら同心円状に広がっていく。
そんなふうに絵の具の雫のような言葉を用いるときに、ぼくたちは言葉にあえて少し広い境界を与えながら使用することができる。よくよく言葉の定義を調べると正確には用いるようなことができない場面でも、ちょっとだけズルしてその言葉を使ってみることができる。例えば、ほんとは愛なのかわからないけれどあえて愛と言ってみたり、自分でもゆるせているのかわからないけどあえて「ゆるした」と言ってみることができる。そんなふうに言葉の輪郭をごまかすように、あえてゆるく、あえて適当に、言葉を運用するというのはその言葉をゆるしたと言えるんじゃないか。ぼくたちが世界に触れるとき言葉を用いることを思うと、言葉をゆるすというのは世界をゆるすことなのかもしれない。こういうふうに書いてみせること自体が言葉をゆるしていることなのかもしれない。
本当はそういう意味ではないかもしれないし間違えているかもしれないと思いながら、それでもあえて言葉をゆるく運用して、つまりあえて言葉をゆるしながら用いるとき、そこには祈りがある。本当は違うかもしれないけれど、こういうふうに言葉を使うことで、世界をゆるせるのではないかという祈りがあるはずだと思う。言葉をゆるすとき、ぼくたちは祈っている。どうか言葉と、この世界は、ゆるされてほしいと。