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映画やゲームや小説などの感想を手当たり次第に書く、、、ことを目的に始めたいブログです。

【感想/レビュー】『パラサイト 半地下の家族』を語る

『パラサイト 半地下の家族』を語る

※ネタバレあり

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この映画の話をするにあたって、二通りの語り方ができると思う。

一つは、「映画の話」「映画を観て受け取ったこと」「映画館でこの映画を観るということ」の三つをはっきりと区別して語る方法。

もう一つは、全てをごちゃまぜにして語る方法。

私は後者の方法でいこうと思う。なぜならば、ここは私のブログだから(ブログは何を書いても自由!)。

『パラサイト 半地下の家族』のなんともいえない後味

ポン・ジュノ映画といえば、そのなんともいえない後味が有名だ。
本作もまたなんともいえない後味だった。

これを観て、どんな感想を言えばいいんだよ! ってな感じで。

 

でも、今作は、観終えてからしばらくすると、なんというか、その、なんともいえないような不安定な気分になった。

鼻の奥のほうには、あの例の臭いがこびりついている。
しょんべんと汗が入り混じりカラカラに乾いたあの臭い

新宿の駅の高架下を通ると、至る所でホームレスが寝転がっている。
あの時に漂ってくる臭い

私は、あの臭いにいつもぞっとさせられる。
ただ不快なだけではなく、そこには恐怖がある。

自分の体からも同様の臭いがするのではないかという恐怖。

私は、今は一応親の脛をかじっているなりに家にすみ、毎日風呂に入っているし、衣服も着替えがきく。
しかし、将来の不安はある。
大学を卒業して、職なし。希望なし。

明日、路上で寝転がっているのは私なのかもしれないのだ。

それなのに、私は、ホームレスたちを卑下する。
臭いといっては鼻をつまむ。
どうしてそんなことができよう、私と彼らは同じ穴のむじななのに。

そのことを思うと、ムラムラと自己嫌悪が立ち上がってくる。
この自己嫌悪というか同族嫌悪こそが、この「パラサイト」の後味の不安定な気持ちの正体なのではないだろうか。

同情しながら嫌悪し、卑下しながら共感する。
そのエゴイズムこそが。
お前はエゴの塊なんだぞ!と映画にチクチクと心臓をつつかれているような、そんな感覚。

同族嫌悪

同族嫌悪は、「パラサイト」という映画の、「観に行く」・「観る」・「感じる」が渾然一体となった映画体験を通してのキーワードでもある。

面白いのは、この映画は貧富の差を描いた映画だといいたくなるかもしれないが、実はそうではないところだ。

貧富の差を描いた映画ではない。

貧しさを描いた映画だ。「富める」は描いていないのだ。

作中でもいわれるように「富める人はいい人」だ。
彼らは、私が感じたような同族嫌悪のような自己嫌悪に陥ることはないだろう。

彼らは、ただ自分の人生をまっとうするだけ。
他者や自分に対する怒りや軽蔑などはない。

持って少しの困惑と取るに足らない軽蔑だけ。

同族嫌悪を持たない彼らは、映画の中でもとりたてて特異な感情を持つこともなく、ストーリー上でスポットライトをあてられることもない。

代わりに、スポットライトがあてられるのが、二つの貧しい「家族」である。

彼らは互いに軽蔑しあい、共感しあい、なんともいえない同族嫌悪の渦の中に落ち込んでいく。

1900円払って映画を観にいく

映画は高い。

1900円はあまりにも高すぎる(私は会員なので1000円で観られますがそれでも高い)。

映画を観ているということは、当然みんなそれなりのお金があるということだ。
食うや食わずの人は、多分映画を観には来ないだろう。

映画で「貧しいもの」が描かれるとき、それを観るとき、私はいつもなんともいえない気持ちになる。

 

私は決して豊かではない。
一冊の漫画を買うときに、一本の映画を観にいくときに、お金のことを思ってためらい、迷う。
そんな人間だ。

その一方で、私は映画を観にいける程度には豊かだ。

そんな私は、どの立場にたってこの映画を観ればいいのだろうか。

あの高い坂の上からか、それとも薄暗い地下からなのか。

わからない。
わからない。

私はどっち側?

 

 

追記

弱者と強者ではなく、弱者と弱者の対立を描いた映画が最近多い気がする。

「ジョーカー」もある意味そうでし、「アス」もそうだった。
日本だと「タロウのバカ」なんかもそうだ。

弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く。加速していく暴走列車はどこへ進んでいくのだろうか。

革命は起こりそうにない、起きるのは多分崩壊だろう。